◆カードキャプターさくら・ショートストーリー◆

『ミラーのキモチ』

文章:元、挿し絵:daic




ピリリリリ…
唐突に少女の部屋でそれは鳴り響く。 個人回線の携帯電話だ。慌ててそれを取るのは一人の少女。
『たいへんですわ、さくらちゃん!』
電話先から開口一番に聞こえてくるのは悲痛な叫び。
――それが彼女の下に舞い込んだのは、初夏のよく晴れた日曜日の朝のことだった。


「クローカードの仕業や!」
断定するのはぬいぐるみ,もとい私達を監視する役目にあるクローカードの番人・ケルベロスです。
「はよ行くで!」
「ちょっと待ってよ,ケロちゃん!」
袖を引っ張る彼を慌てて止めるのは私のご主人,幼きカードキャプターのさくらちゃん。
「わたし、今週の家事当番なんだよっ!」彼女は腕を振って力説します。
「家事とカードどっちが大切や思ってんのや!」
「…家事」ボソリ、彼女は不満げに呟きました。
「こらぁぁ!!」
「だぁって、今日はこんなに晴れてるんだよ。洗濯物も溜まっちゃってるから今日中に片付けたいし、お掃除もやらなくちゃいけないし、それにそれに食事当番もあるんだよっ!」
良く出来た子ですねぇ。
「兄ちゃんに代わっててもらえばええやんか」
ケルベロスの提案にしかし、さくらちゃんは頭を横にぶんぶん振って否定します。
「先週からずっと代わってもらってるんだよ,カード探しのせいで。これ以上言い訳が思いつかないよ」
「ならカード放っといてええいうんか?」
「じゃあ、私がカードキャプターだってお兄ちゃんとかお父さんにバレちゃっていいの?」
沈黙――
「「う〜ん」」
そして考え込む二人です。
ポン
手を叩く音を立てたのはケルベロスの方でした。
「そうや、ミラーのカードや?」
「え?」
”なんですか?”
首を傾げるさくらちゃん。嫌な予感の私。
「ホンマはこんなことしよったらあかんのやけど、今回は非常時や。ミラーのカードでさくらの分身作って今日一日変わってもろうたらええ!」
その提案にさくらちゃんは渋い顔。
「でもお兄ちゃんにミラーのカードはバレてるって聞いてるよ」
そう、私は以前に桃矢さんに正体がバレています。
あの人はもともとさくらちゃんほどではないけど、そういった『力』が強い人なんですよ。
さくらちゃんの心配をよそに、ケルベロスはチッチっと指を振って舌を鳴らしました。
「あれはカードが単独に動いとったからや。今度はさくらの魔力が加わるさかい、いくら兄ちゃんでも気付かけんはずや」
”そうかもしれませんけど”
「大丈夫かなぁ…」自信なさげのさくらちゃん。
「他に方法あるか?」
「…分かったよぉ」
さくらちゃんは肩の力を落とし、首から提げたペンダントを握り締めました。
”出番の…様ですね”


『その』カードは封印の鍵から注ぎ込まれる魔力を得て、目の前の彼女の姿を取った。
彼女はそっと床に足を下ろす。実体化するのは本当に久しぶりだ。
実体化した彼女の目の前に、魔力を消費してちょっと疲れ顔のさくら。
綺麗なその瞳に彼女自身が映っていた。
ミラー――さくらはこのカードで分身を作り出したのである。
このカードは特殊カードと呼ばれる部類に入り、使用に於いて術者の魔力を大きく消費してしまうのだ。
「ええと、いい?今日一日、私の代わりをしててくれる?」
こくり
彼女は頷く。
「さ、行くで,さくら!」窓を開け放ち、ケルベロスはさくらに声を掛けた。
「はいはい」答えて彼女は懐からカードを一枚。
「フライ!」
白い翼が封印の鍵の柄に広がった。
一人と一匹は窓の外へと飛び立っていく。
それを呆然とミラーさくらは見送ると、不意に我に返った。
”さ、ご主人の指令を果たさないと…”
彼女は静かな朝の一階へと降り、リビングルームへ。
そこにこの家族の一日の行動を書く小さなホワイトボードがあるのだ。
「替わりって何をやればいいのかしら…」
呟き、それを見て彼女は凍り付く。

朝・昼・版ご飯当番(ツケを払ってもらうぞBy桃矢)
洗濯当番
掃除当番(庭もお願いしますねBy父)

唖然とするミラーさくら。
「小学生にここまでやらせますか……」
さくらの不遇を哀れむと同時に、今はそれを自分自身がこなさなければならない現実を前に、ミラーは心に涙しながら、
「…まずは朝御飯ね」
肩を落としてキッチンへとぼとぼ向かって行った。


ぴ〜
やかんのお湯が、沸く。
ポン
トーストが焼けた。
じゅ
「よっと」
ミラーさくらはフライパンを軽く返す。
卵の香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。
彼女はそれを三つ並んだ皿の一つに盛る。丁度いい半熟。
そして二つ目の卵を割ってフライパンへ。
じゅわ!
がちゃり
同時に背後の食卓への扉が開いた。
「おはよ、さくら」
キッチンのカウンター越しのその声に、さくらは一つ小さく震える。
”桃矢さん…”
「おはよ、お兄ちゃん!」
そう、いつも通りの笑顔で応えるさくら。
「??」彼女を桃矢は訝しげな眼で見つめた。
「どうしたの?」
「珍しく朝から元気だな。いつもなら『はよ〜』って寝ぼけ眼で卵焼いて、真っ黒に焦がしてんのに」
ニヤリ、笑いながら彼はからかう。
「え?
そうなの?」だがそんな言葉に思わず驚くさくら。
「???」
いつもと異なる態度を不審に思ったか、桃矢はさくらの隣りまで歩み寄り、フライパンの中身と彼女を交互に眺めた。
「どうしたの?」ミラーさくらは内心ドキリとしながら、首を傾げる桃矢を見上げる。
と、彼女の額に桃矢はそっと手を当てた。
「え?」
”あ…大きい手…”
自然とミラーさくらの頬が赤く染まる。
「少し熱いな、風邪かもしれん。今日は寝てろ」じっとさくらを見つめ、桃矢は断言.
「だだだ、大丈夫だよ!もう御飯出来るから座ってて」慌てて彼女はフライパンをひっくり返して言い放った。
「おはよう、さくらさん」
タイミング良く、背中から聞こえるのは穏やかな父親の声。
「おはよ、お父さん」
「おはよう,ああ、父さん,昨日は…」
桃矢は食卓へと戻り、父に何か話し始める。
”助かったよぉ〜” ミラーさくらはほっと胸を撫で下ろした。


「おっせんたく♪」
どさどさ
がががが〜
「おっそうじ♪」
がーがー
ずがーがーがー
良く晴れた日曜日だった。
ミラーさくらは鼻歌を歌いながら順順にこなして行く。
「ええと、お昼ご飯は何が良いかな?」
ふと、彼女は朝の食卓の会話を思い出した。


「イタリア料理?」父が桃矢に問う。
桃矢が脇に置いていた本に目が行った様だ。
彼の脇には『誰にでも出来るイタリア料理』と書かれたレシピ本が置かれていた。
「お兄ちゃん、イタリア料理が好きなの?」
「ん?
ああこれか」桃矢は本を手にする。
「この間、雪と食いに行ってな、もちろん食い放題だけど。結構うまかったから真似してみようかと思って,しっかし案外難しいもんだな。もう一度食べに行った方が良いかな」
「勉強熱心ですね、桃矢さんは」
「バイトの役に立つくらいだよ、明日は期末試験だってのに何の勉強してんだかな」
そして三人は小さく笑い合ったのだった。

「そうだ、イタリア料理にしよっと」
ミラーさくらは足取り軽く、桃矢の部屋をノッキング。
「開いてるぞ」
声が聞こえてくる,もっとも鍵など閉めた事はないだろうが…。
がちゃり、さくらは扉を半開きにして顔だけを中に入れる。
「何だ?さくら?」
机に向かって顔だけを扉に向けた桃矢がいた。勉強中の様だ。
「さっきの本、ある?」
「あ?」
「さっきの料理の本」
桃矢は暫し考え、
「難しいぞ」
「大丈夫だよ!」
やはり彼は暫し考え…
席を立った。
「?」
「オレも手伝おう」笑って桃矢。
「え?お兄ちゃん、明日テストなんでしょ?」
「気分転換だよ。珍しく手伝ってやるって言ってんだ,ありがたく思え」
扉を開ける桃矢に、扉に寄りかかっていたさくらはたたらを踏んだ。
「何やってんだ?」
「あ、待ってよ!」
さくらはそんな桃矢の後を追った。


「まずはにんじんを切る」
「まずはにんじんから始まるのね」
「何か言いたそうだな」ジロリ、エプロン姿の桃矢は同じエプロン姿のさくらを睨む。
「それをおもむろに鍋の中に放り込んで火力を中ほどに調節して終わりとか言わないよね」
「そんな某サクラ大戦っぽい料理するかよ」でも額に汗の桃矢。
しばらく二人は着々と料理の手を進めた。
「お兄ちゃん、パスタのゆで時間は?」
「9分くらいだ。アルデンテを忘れるな」
「知ってるよ、それくらい」
「おい、そっち,泡吹いてるぞ」
「はぅ〜」
ピーピーピー
遠く、そんな電子音が聞こえる。
「あ…」洗濯機の動作が終わった合図だ。
「行ってきな,こっちはやっておくからさ」桃矢はおろおろするミラーくらに笑顔を向ける。
「う、うん。ありがとう」
料理の手を休め、ミラーさくらは洗濯機の元へと向かった。


お昼間近の日差しが降り注ぐ。
さくらは洗い終った洗濯物を大きな籠に入れ、庭の物干し竿に次々と吊るしてゆく。
と、籠の中身を掴む彼女の手が止まった。
ゆっくりと手に掴んだそれを顔の前に持ってくる。
”これ…”
桃矢のトランクスだった。
「あ…」
かぁ
顔が真っ赤になるミラーさくら。
「さくら,なにオレのパンツ握ってぼ〜っとしてんだ?」
背後から呆れたような声が飛んでくる。
「あぅ!あの、え〜っと、そうそう、空が青くて高いなぁって」
さくらは慌てて空を指差した。
高い高い雲一つない青空。すずめが三羽、飛んで行く。
「は?」
包丁片手にエプロン姿の桃矢は間抜けな顔で空を見上げた。
「あの空を飛べたら気持ち良いだろうなって思ったりなんかしちゃって、あはは」
乾いた笑いのミラーさくら。
桃矢はゆっくりと視線を下へ,さくらに合わせる。
「疲れてるのか?」
「…いろんな意味で」溜息一つの彼女。
「そか」
すずめの囀りがやけに大きく聞こえていた。


ずらりと昼の食卓に並ぶ料理
唖然とする父。
「…さくらさん?」
「なぁにお父さん?」
大皿のパスタを小皿に取りながらさくら。
「こんな料理、どこで覚えたんだい?」
「お兄ちゃんに手伝ってもらったんだよ,ていうかほとんどお兄ちゃんがやってくれたんだけど」苦笑するさくら。
「そうでもないだろ,オレは材料切ってただけだし」
「おいしいですよ。桃矢さんはこの料理を皆に食べさせたかったんですね」
にっこり微笑んで父は言う。
「ん、まぁ…」
「えへへ」
困った様に鼻の頭を掻く桃矢と、嬉しそうに微笑んで桃矢を見つめるさくらを、父はやはりほのぼのした笑みを浮かべて見つめていた。


バサァ!
物干し竿に吊るされた最後のシャツを取り込むミラーさくら。
日はすでに大きく傾いてしまっていた。ゆっくりと辺りは赤くなって行く時間。
「おわりっと!」
景気良く彼女は乾いた洗濯物の入った籠を持ち上げながら呟いた。
「おつかれ」
「お兄ちゃん?」
背中からの声にさくらは振り返る。
日本茶のはいったきゅうすを片手にした桃矢がリビングルームから声をかけたのだ。
さくらは籠を両手で運び込んで家に入る。
「飲むか?」同時に問い。
「うん!」
元気良く彼女はそう応えて彼の座るソファに腰掛けた。
思わず心が落ち着く香りが漂う。
「そうだ、お兄ちゃん,何か晩ご飯の後のデザートでリクエストとかって、ある?」
日本茶を口にしながら、ミラーさくらは隣りで新聞を読みながらお茶を啜る兄に尋ねた。
「そうだな……ヨーグルトケーキなんかどうだ?」新聞をめくりながら桃矢。
「うん。じゃ作っておくね」さくらは日本茶を飲み干し、立ちあがった。
その背に桃矢は新聞の向こうから声をかける。
「探し物は見つかったのか?」
ピクリ,ミラーの動きが、止まった。
「それともまだ、さまよっているのか?」
ゆっくりと、さくらは桃矢に振り返る。
そこには『さくら』の浮かべる笑顔は、ない。
「もぅ、さまよってはいません」淡々と言い放つ。
「そか。ならいいんだ」
バサリ,新聞の次の頁をめくって桃矢。
バサリ………
バサリ……
バサリ…

ミラー
「あ、あの、桃矢さん?」
どうしたら良いか分からずに立ち尽くしていたミラーはおずおずと桃矢に声を掛ける。
「何だ?」
「この間は、ごめんなさい」
ペコリ、頭を下げるミラー。
「訳あり、だろ?」
桃矢は新聞を下げ、ミラーを見つめた。
さくらの揺らめく瞳に、桃矢が映っている。
「それと、ありがとうございます」
「?」
その言葉に桃矢は首を傾げる。
「今日は楽しかったです。桃矢さんとお話できて」
にっこりとミラーの微笑みを浮かべながらさくらは言った。
それに桃矢は目を背ける。
「話だったらいつでもしてやるよ。ただ…」
「ただ?」
「さくらに怠けグセはつけさせないでくれ。それさえ守ってくれれば、いつでも付き合ってやるからさ」困った様に桃矢。
「はい!」ミラーは満面の笑みでそう応え…
「あと前にも言ったがその姿は止めてくれないか?なんかアイツ以外の奴が同じ姿しているのっていうのはちょっと…恥ずかしいからさ」
桃矢の言葉にミラーは一瞬困った顔を浮かべるが、諦めた様に小さく微笑む。
彼女が目を瞑ると全身を柔らかな銀色の光が包んだ。
一瞬の後に、そこには銀色の長い髪を持った少女が一人。
「お久しぶりです、桃矢さん」
ミラーは『彼女』自身の微笑みを、目の前の青年だけ向けて一礼した。


「疲れたよぉ」
言いながらご主人が帰ってきたのは、丁度これから晩御飯というお時間。
「ミラー,お疲れ様。大丈夫だった?」
コクリ私は頷きます。
「ありがとう。カードに戻ってゆっくり休んでね」
コッ
封印の鍵でさくらちゃんは私の額に触れます。
途端、私はカードにその姿を戻しました。
そのまま私は机の上に置かれます。
「じゃケロちゃん。わたし、晩御飯食べてくるから」
「ワイはもう寝てるわ」
さくらちゃんはそう言うと、部屋を出て階下のリビングへを降りて行きました。
「全く、とんだカードやったわ」 ケルベロスが言いながら私の隣に腰を下ろします。
と、階下からさくらちゃんの驚きの声が聞こえて来ました。
「何や?!」慌てるケルベロス。

「何、このごちそう!」
「?さくらさんが作ったんでしょう?」
「おい、さくら,ヨーグルトケーキはちゃんとできてるか?」
「??なに、それ?」


「ケーキやてぇ?!」
私の隣でわめくケルベロス。この方は甘いものには眼がないのです。


「さっき作るって意気込んでただろ?」
「え?ああ、そうだった…よね?」
「さぁさぁ。さくらさん、晩御飯にしましょう」


声を遠くに聞きながら私は多分、今の桃矢さんと同じ笑みを浮かべていたに違いないです。
彼と同じ時間とを共有できた事,それを大事に胸に抱きながら私は次に必要とされる時まで眠りに就くのでした……


おわり






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