◆ぴたテン・ショートストーリー◆

『上手な猫の育て方』

文章:元、挿し絵:daic




からりと晴れ渡った青空。
ベランダから、洗濯物を胸に抱いた黒髪の少女は眩しげに果てのないその空を見上げる。
6月の雨空の狭間に生まれた晴天日和。
少女――紫亜は胸いっぱいにやわらかな空気を吸い込んだ。
「良かった、晴れてくれて」
てきぱきと慣れた手つきで大量の洗濯物を物干竿に干して行く。
その彼女のすがすがしい表情を、ベランダのちょっと離れたところで見つめる一対の瞳があった。
黒い姿は猫,瞳にはしかし人と同じ知性が宿っている。
「紫亜よ」
驚いたことにそいつは人の言葉を発したではないか。
「なんですか、ニャーさん?」
だが紫亜は臆した風もなく、何気ない会話のように視線を猫に向けた。
「お前には悪魔としての自覚はないのか?」
「はぁ? 何かおかしいでしょうか??」
首をちょいと傾げて紫亜。
そんな彼女にニャーは握り拳を固めて力説だ。
「どこの世界に晴れ晴れした顔で、それも甲斐甲斐しくも天使の服まで洗ってやる奴がいる!」
「一週間ぶりのお日様ですし…」
「日の光を好む悪魔がいるかーーー!!」
「ニャーさんだって日向ぼっこがお好きじゃ?」
「オレのは猫の特性でだっ!! 何より悪魔とバレずに猫を装ねばならぬからな」
「へぇー、大変なんですねぇ」
相槌をうちながらも、紫亜の手は動き続けて洗濯が終了していた。
「だからお前ももう少しは悪魔としての……」
「ただいまっすー!」
ニャーの説教は玄関から響いてきた元気な声にかき消される。
「お帰りなさい、美紗さん」
紫亜はベランダのニャーをそのままに、部屋に戻って同居人を出迎える。
出来の悪い弟子を見つめる師の表情で、ニャーは溜息一つ、後を追って部屋に戻った。
にこにこと笑顔を浮かべて紫亜の前までやってきたのは近所の中学校の制服を着た少女だ。
紫亜もまた彼女に微笑み、台所へ足を進める。
「美紗さん、クッキー焼いたんですけどお茶にしませんか?」
「いいっすねー、湖太郎くんも呼んでくるっす!」
「はい」
美紗は帰ってきたときと同じ勢いで部屋を飛び出して行く。
二人の住むこのマンションの隣、壁を一つ挟んで美紗と少年と思われる声が仄かに紫亜には聞こえてくる。
それをBGMに彼女はポットにお湯を沸かし、ダージリンの茶葉を取り出すこと三摘み。
「なるほど、紫亜よ。そこに毒を盛るわけだな」
足元に擦り寄ってきたニャーに紫亜は不思議そうに首をかしげる。
「ニャーさんはお砂糖入れますか?」
「違うわっ!」
「お邪魔します」
玄関から少年の声が聞こえてくる。
紫亜はトレイにポットとティーカップを3つ,クッキーを載せてリビングへ。
そこにはテーブルの前に腰を下ろした少年と、美紗が歓談していた。
「あ、紫亜さん。こんにちわ」
「こんにちわ、樋口さん」
トレイをテーブルに上に置いて紫亜。
そのポットを見て、美紗が手を伸ばした。
「私が入れるっす!」
「お願いします」
美紗は慣れない手つきで自分、湖太郎、そして紫亜のカップへダージリンティーを注ぎ……
カタン
「あ」
「きゃ!」
紫亜のカップが美紗の袖に当たって倒れる。
中のお茶がこぼれて紫亜のシャツに斑点模様を作った。
「ごめんなさいっす……」
「大丈夫ですよ、熱くありませんから」
「でもすぐ洗わないと、染みになっちゃいますよ、それ」
湖太郎の言葉に紫亜は困った顔。
「お洋服の替えは全部……」
紫亜の指差す方向にはベランダに大量に干された洋服たち。
「あ、私の予備があるっすよ。取って来るっす」
ばたばたと自分の部屋に走りこむ美紗は数秒で舞い戻ってくる。
その手には無地の白いTシャツが握られていた。
「天界特製のお徳用Tシャツっす!」
「天界のお徳用って……」
湖太郎は思わずツッコミ。
「ありがとうございます、美紗さん。早速着替えてきますね」
受け取り、紫亜はそそくさと部屋に走った。
これがこの事件の全ての発端だとは知らずに―――


「ちょっと大きいかもしれません」
「そうかもしれませんね」
ダブついた白いTシャツに着替えた紫亜は小さく笑う。
それを眺めた湖太郎は苦笑い。
「お茶を煎れなおしますね」
言ってキッチンへ歩を進める紫亜のバランスが崩れた。
足元でニャーが横切ったのだ。
「「あ」」
「にゃ?!」
紫亜は前のめりに倒れる。その真下にはよもや自分が倒すとは思わなかったニャーが唖然と見上げて……
ばたん!
紫亜はニャーを胸に押し潰したのだった。
「にゃ、ニャーさん!?」
慌てて起き上がる紫亜。しかし、
「「あれ?」」
紫亜と驚いて横から眺める湖太郎・美紗の目の前には、潰されたはずのニャーの姿形もなかった。
「一体どこに?」
「ニャーさん??」
「ここだ、紫亜よ」
声は紫亜の胸元から。
湖太郎は聞き覚えのない、しわがれた声に驚きに目を凝らした。
「一体何がどうなったしまったと言うのだ?」
ニャーは紫亜の無地だったはずのTシャツに見事、プリントされているではないか!?
「猫がしゃべったぁ?!」
さらにもう一つの事実に驚きの湖太郎。
「こら、これは一体どういうことだっ!」
シャツの中から、目を丸くしている美紗に詰め寄るニャー。
その姿はまるで……
「ど根性ガエル…」
「誰がカエルかっ!!」
ニャーは湖太郎の呟きにツッコミを入れた。
「美紗さん、これは一体……」
さすがに困った表情で紫亜は見習い天使に尋ねた。
「分からないっす、でも多分、天界のシャツだから特別な力があったのかも」
「そんな無茶苦茶な」
理解できない湖太郎は額に手を当てて溜め息一つ。
「でもでも、これで紫亜ちゃんはいつでもニャーさんと一緒っすよ!」
「「解決になってない!!」」
楽天な美紗に、ニャーと湖太郎の叫びがハモったのだった―――


「ええっと、今晩のご飯は何が良いでしょうね、ニャーさん?」
「鯖だ、鯖の味噌煮!」
「和食も良いですね」
夕方のスーパーマーケット。
紫亜はTシャツにプリントされたニャーと共に買出しにきていた。
傍目から見ると紫亜が一人言を言っているだけにしか見えないが、それ以外は妙に馴染んでいた。
買出しを済ませてスーパーを出たところでニャーはその視線に気付く。
「何の用だ、アッパラパー天使!」
「誰がアッパラパーよっ………??」
電柱の上に人の目には見えない翼を持った少女が止まっている。
美紗のような見習いではなく、正真正銘の本物の天使。美紗の後見人である早紗である。
彼女はしかし、言葉を続けることが出来なかった。
視線は紫亜の胸元の、ニャーに釘付けだ。
「ぶぶぶっ、ど、ど根性、ど根性ガエル……あはは、あーっはっはっはーーーーーー!!」
「死んでしまえーー!!!」
ニャーの目から毒光線、それは電柱の上で笑い転げて苦しげな早紗にクリーンヒット!
「はっ、あーっはっはっはーーーー」
早紗は大ダメージを受けながらも笑いを止めることが出来ないまま、夕闇始める空の遥か彼方に飛ばされていった。
「ちくしょーーー!!」
「ニャーさん?!」
Tシャツから涙がホロリ。
ニャーは紫亜を引きずる様にして駆け出した。


「ちょっと、ニャーさん。落ち着いて……」
紫亜の息はとっくに切れて、今は完全に引きずられているだけだ。
「大丈夫ですから」
ニャーは止まり、がくりと紫亜はその場に座り込んだ。
夕日が沈みつつある河原で、紫亜は人心地つく。
走り過ぎでやや青くなった彼女の顔に、夕日を照り返した水面からのオレンジ色の光が混じる。
「何が大丈夫なのだ、紫亜!! 一生、オレは一生このままかもしれないのにっ!」
「私は今まで通り、ニャーさんと一緒にいますから。だから何も変わらないじゃないですか」
紫亜&ニャー 自分自身を抱きしめるように紫亜は胸の中のニャーを抱きしめる。
「紫亜……」
暖かな胸の中、目を瞑るニャー。
そして夕日が地平線の向こうに落ちた。
ぽん
唐突にそんな音がする。
「あら?」
「おや?」
ニャーがTシャツから飛び出ていた。
「やった、なんかよく分からんがやったぞ!!」
「お日様が沈むと効果が切れるみたいですねー。良かったですねぇ」
ニャーは紫亜の膝の上からポンと飛び降りると、しっぽを立てて目を逸らす。
「さ、帰るぞ、紫亜」
「はい」
「それとな」
「?」
てくてくと先へ行くニャーを小走りに追う紫亜。
「ありがとな」
ボソリ、呟いた。
「あの、良く聞こえないんですが」
「腹減ったと言ったのだ,早く帰るぞ」
「はい」
一人と一匹は帰路を急ぐ。
夕闇に沈む空は、深い紫色に染まっている。
紫亜は明日も、晴れるのを願いつつ猫の小さな影を追うのだった。








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