◆カードキャプターさくら・ショートストーリー◆

『ミラーのひざまくら』

文章:元、挿し絵:daic




さくらがまた一枚、カードをめくる。
カードはウィンディ。
そして最後の一枚。
――ミラー。
「う〜ん」
「どうや?何か見えたか?」
問うは手のひらサイズの、熊に翼の生えた妙なぬいぐるみ。
机の上で三角形に並べられたさくらカードを前に、それを作り出した本人は小さく首を捻っていた。
「赤い…ううん、白い。いちごの…ケーキみたい」 「よっしゃ!はよ、知世んちに行くでぇ,ケーキがワイを待っとる〜〜♪」
「それじゃ、カモミールティーが合いそうだね。確かお台所にあったなぁ」
さくらはしゃべる熊のぬいぐるみ――ケルベロスをナップサックに詰め、軽快な足取りで部屋を出ていった。
机の上にカードを並べたままで……



穏やかな正午の日差しが部屋に差し込んでいる。
主は少女と思われる、柔らかな雰囲気を帯びた部屋。
ベットの向かいにある学習机の上には、タロットカードのようなものが並べられていた。
だが人の気配はない。
無人の部屋、だ。
開け放たれた窓から、涼やかな秋を含んだ風が時折流れこむ。
「へくちっ!」
唐突に無人のはずの部屋の中、小さな声が響いた。
可愛らしい声の主はウィンディという。
だが彼女のクシャミは彼女の特性が故に、現在の状況にあるカード達にとっては深刻だった。
ウィンディ――風のカードである彼女のクシャミは、すぐ隣に置かれたカードを動かすには充分な風力を持つ。
ウィンディの隣にあった、運の悪いカード。それは…
「あ…えぇ?!」
ふわり
カードの中、浮遊感に戸惑うのはミラー。
「ごめんなさい、ミラーちゃん!なんとか頑張って!!」 「が、頑張ってって言われてもぉぉ!」
そのまま彼女は机の上からフライト,秋の風に乗って窓の外へと放り出されたのだった。



スポーツバックを肩に掛けた青年は、文庫本を読みながら家の門をくぐった。
ぽす
胸というか腹に何かぶつかる感触に、彼はようやく視線を本から前へと戻す。
「ちゃんと前を向いて歩けよ、さくら」
「そのまんまお兄ちゃんに返すよっ,ま、いいや。あたし、知世ちゃんちに遊びに行くからお留守番お願いね〜」
「へいへい」
桃矢は駆け去っていく妹の後ろ姿を一瞥。
再び手の中に開いた本に目を戻した、とその時だった。
ぽとり
見開いた文庫本の上に、何かが落ちた。
「ん?」
それを取り上げる桃矢。タロットカードのようなそれには中心に少女と思われる絵が描かれていた。
「どこかで見たことがあるようなないような」
カードをまじまじと見つめる桃矢。
しかし思い当たるところがなかったのか、文庫本に挟んでそれを胸ポケットにしまうと、玄関のドアノブに手をかけた。



"び、びっくりした…"
文庫本のページの間に挟まれたミラーは、高鳴る胸を必死になって押さえていた。
"まさか桃矢さんにまたお会い出来るなんて"
ただ、ミラーは知っている。
すでに桃矢に魔力はなく、カードである彼女の姿を認知できないことを。
"それでも…"
ミラーは胸ポケットの中から彼を見上げ、心から嬉しそうに微笑んでいた。



ピンポーン♪
インターホンが鳴る。
「よっ、雪」
「おじゃまします、桃矢」
いつも変わらぬ笑顔を浮かべて現れた訪問者は桃矢と同年代の青年。
片手にナップサック,そしてもう片手には一升瓶と思われるモノが入った手提げ袋。
「何だ、そいつは?」
「コレ?」
靴を脱ぎながら雪兎は微笑んで答えた。
「お酒」
「そりゃ、見りゃ分かる」
二人は階段を上がり、部屋の一つ――桃矢の部屋に腰を下ろした。
「お爺さんの親戚がお酒造ってる人でね。毎年新酒を贈ってくれるだ」 「へぇ、ボジョレーヌーボーみたいだな」
「ふふふ」
ナップサックから教科書・ノートを取り出しながら雪兎。
二人はこれから高校生活最後の定期試験に向けて、対策の勉強会を行うのだ。
「で、なんでそんなもんを持って来るんだ?」
「今年はものすごい量を贈ってきちゃって…お爺さんだけじゃ呑みきれないから、おすそ分けだよ」
雪兎はそう言って一升瓶を桃矢の学習机の上に置き、そして部屋の中心に広げられた家具調コタツの一辺に腰を下ろす。
「雪は呑まないのか?」
彼に向き合う位置に続いて腰を下ろした。
「ちょっとだけ、ならね」
「フリョーめ」
「桃矢に言われたくないなぁ」
苦笑いの雪兎は、コタツの上に置かれた一冊の文庫本に目を移す。
「何を読んでたの?」
「んー。今流行りの推理小説をちょっとな」
"え…違いますけど?"
その文庫本に挟まれたミラーはふと、思う。
「今流行りっていうとコナン=ドイルとか?」
"何十年前の流行りなんでしょう??"
「ま、まぁ、そうかな」
困った口調で桃矢,その隙に、雪兎の手が文庫本に伸びた。
「どれ読んでるの?」
「こ、こら!」
しかし桃矢の制止は間に合わない。雪兎は文庫本の表紙を開いていた。
そのタイトルは、
『正しい安眠と疲れの癒し方』
「ご…ごめん」
「…謝るなよ」
何とも言いがたい沈黙が広がった。
桃矢によって彼の脇に置かれた文庫本の中にいるミラーにも、その雰囲気が伝わってくる。
"そっか,確か桃矢さんはユエさんに魔力を全部あげてしまわれたんでしたっけ"
「なぁ、雪,ここんトコ,出るんじゃないか?」
おもむろに桃矢は数学の教科書のあるページを広げて雪兎に見せる。
「そうだね。コレも出るって言ってたよね?」
「ああ、そうだったな。今回は雪に負けたくねぇなぁ」
「僕も桃矢には負けないよ」
言って、二人は小さく笑い合うとノートを広げてペンを取った。



カリカリ
コリコリ
カリカリ
響くはノートにペンを走らせる音。
それも三時間も続くと遅くなってくる。
やがて、どちらともなくその音を止めた。
「疲れたな」
「そうだねぇ」
同時に大きな溜息が二つ。
桃矢はふと、視線を机に。
机の向こうの窓の外はすでに夕暮れだ。その冬の弱々しい日の光に、机の上の瓶から琥珀色の光が放たれていた。
「気分転換に一杯、やるか?」
「フリョーだよ、桃矢」
「そうだよ、フリョーだ」
居直り、ニヤリと彼は微笑むと勉強机の上の一升瓶を取る。
「えと、コップは…と。あと軽くツマミでも持ってくるか」
「ホ、ホントに呑むの?」
「気分転換だって」
困った顔の雪兎に、桃矢は笑ってキッチンへと向って行った。



とくとくとく…
そんな音を立てて、コップに琥珀色の液体が注がれてゆく。
「桃矢、このお酒って度数が強いんだって書いてあったんだけど」
差し出されたコップを見つめ、雪兎は眉をしかめた。
「そか?」
「こんなになみなみ注いで…僕は呑めないよ」
「ツマミにイカがあれば呑めるか?」
「いや、そ〜でなくて」
本日二度目の溜息,雪兎は諦めてコップを口に運んだのだった。
「なんとゆ〜か、呑みやすい酒だなぁ」
「そ〜だねぇ,度数が間違って書いてあるのかなぁ?」
特にラベルに視線を走らせる事もなく、二人は杯を重ねたのだった。



一時間後――
「よ〜、呑んでるか,ゆき〜〜」
ばんばん
視点の定まらない桃矢は、同じくコップを持ったまま半分別世界へと旅立っている雪兎の背中を盛大に叩いた。
ゴトッ!
その拍子に机の上のコップが倒れ、半ばまで入っていた液体が零れる。
「酔ってるねぇ、とうやぁ〜」
「酔ってねぇって!日本酒なんかで酔うかよぉ」
ばんばん
再び雪兎の背中を叩く桃矢。
勢い余って雪兎は額をしたたかに机に打ち付けた。
「お〜、大げさだぞ〜、雪兎」 ピクリとも動かなくなって泥酔(?)した雪兎を眺めながら、桃矢はコップに酒を注ぎ直すのだった。



"なんか桃矢さん、大変なことになってませんか?"
ミラーは外から聞こえてくる声に耳をそばだてていた。
ユエである雪兎とテスト対策の勉強をしていたはずだったが、小休止にユエが持ち込んだ『酒』というもののせいで、なんだかおかしな事になっているようだ。
残念なことに、彼女を挟んだ本は机の下に置かれているらしく、様子を見ることは出来ない。
"大丈夫でしょうか…きゃ!"
ミラーは思わず悲鳴を上げた。
何かが彼女の背を濡らしているのだ。
"なになになに??なんなの?!?!"
異様な感覚に、しかし彼女は何も出来ない。
実は机の上のコップから零れた酒が流れて、運悪くその机の下の文庫本の上,すなわち挟まれているミラーの上に零れ落ちたのであるが、そんなことは彼女の知る由もない。
"ほぇ??何だか頭がクラクラする…"
唐突に襲い始めた初めての感覚に、ミラーはカードの中で慌てふためく。
慌てれば慌てるほど、その異様な感覚が強くなって行く様だった。



「お〜い、ゆきぃ,寝たのか??」
桃矢が再びコップを傾けた、その時。
シュゴゥ!
「一体何事だ、コレは」
雪兎の背中から翼が生える,そして髪が伸びた。
頭を押さえつつ、雪兎が消えてユエが出現した
「なんだ、いきなり仮装かよ?」
「?!」
ユエは桃矢の存在に気付き、絶句。
そんなユエにお構いなしに、桃矢はユエに近づいた。
「良く出来てるな、この翼」
「引っ張らないで頂きたい」
「なぁに堅苦しい言葉使いしてんだよ,役に入りきってるな」
「…コスプレではない」
「ま〜、呑め」
「ちょ、止め…んぐ!!」
桃矢はユエに無理矢理コップの中身を呑ませる。
と、ユエの顔色が赤く、そして青く変化した。
「これくらいの日本酒くらいで…もう酔ったのか?」
この時、ユエは失われてゆく正常な意識の中で気が付いた。
机の上の一升瓶のラベルの文字「焼酎・火の酒」と書いてあったことに。
そう、日本酒ではなかったのだ。
「フフッ…クハハハハハ!!」
「良い感じに壊れてきたな〜、ゆきぃ」
顔は真面目だが、言動がトコトン怪しいユエの視線がふとある一点に止まる。
「むっ」
そのまま彼は桃矢の傍らに置いてあった文庫本を手に取った。



"頭がほわ〜んとします〜〜"
カードの中、ミラーはぐったりとしていた。
しかし次の瞬間、意識が現実へと戻される。
「何故こんな所にいる?」
その声は目の前。
目を上げると氷の表情を浮かべたユエがこちらを睨んでいる。
"ヒィィ!"
「こんなところはないだろ〜、ひどいな」
酔っぱらいモード炸裂中の桃矢のツッコミはしかし、ユエには聞こえていない。
ユエはミラーのカードを手にすると貴重な魔力を込めて叫んだ。
「勺でもせんかい!レリーズ!!」
魔力の解放と共にカードから解き放たれるミラー。
"ほぇぇ?!そんなバカな?!"
そして、
空中で実体化したミラーは桃矢の膝の上に落ちた。
「……誰だ、アンタ?」
膝の上に申し訳なさそうに腰掛ける少女に半眼で桃矢は問う。
「あぅ…こ、こんにちは、桃矢さん」
閉じそうな瞳でまじまじとミラーを見つめる桃矢。
「おおっ!久しぶりだなー,元気だったか?」
思い出したのか、はたまたノリなのか,ぽんぽんとミラーの頭を軽く叩く桃矢。
「ミラー!」
「は、はぃ!!」
有無を言わせない呼び声に、思わず立ち上がって直立不動の姿勢をとるミラー。
彼女にユエからコップが一つ、渡された。
「取り敢えず…呑め」
ずずぃ
「はぅ!」
なみなみと注がれた中身と、無表情で迫るユエの迫力にミラーは絶句する。
と、その彼女の前に突然立ちはだかるは桃矢だった。
「ゆきぃ,無茶なことはさせちゃぁイカン」
「だが桃矢,駆け付け三杯と言うだろう?」
"多分意味が全然違います"
気が抜けたのか、ミラーはぺたりとその場に腰を下ろした。
「オレが呑む!」
「あ…」
ユエの手から桃矢はコップを奪うと、それを一気に飲み干した。
「ズルイぞ、桃矢。私の分を」
「まだある,呑め」
「おお」
桃矢に差し出された一升瓶をそのまま傾けるユエ。
「あの、ユエさん?」
躊躇いがちにミラーは制止しようとするが、恐いので見なかったことにしたようだ。
"何でもない顔して…完全に酔ってますね"
ふぅ、と溜息。
そのミラーの視線の先によれよれになった文庫本が目に入った。
"そうか、さっき私にかかったのは零れたお酒だったんですね"
彼女は納得,同時に頭がぼぅっとするのは、かかった時に彼女にその酒の一部が吸収されたせいだと推測した。
"少しかかったくらいで私ですらこうなってしまうのですから…一気呑みした桃矢さんは?"
「桃矢さん…大丈夫ですか?」
「あ〜、平気平気」
ミラー 言って彼はミラーの隣に腰を下ろした。
そしてジッとミラーの顔を見つめる。
「あの、私の顔に何か?」
桃矢の視線にドキリとして、ミラーは問う。
「オレよりも君は大丈夫か?」
「何が、でしょう?」
聞こえるはずもないが、鼓動を聞かれまいと思わず胸を押さえるミラー。
「顔が真っ赤だ。酒に弱いんなら無理するんじゃないぞ」
「赤い…ですか?」
さらに赤くなるのを感じる。
桃矢の手が伸びた。
彼の手のひらが、ミラーの右頬を包む。
"冷たくて気持ち良い…"
目を瞑るミラー,と、その手が力なく離れた。
「え?」
同時に彼女の膝の上に何か重い物が落ちる感触。
「と、桃矢さん?!」
ミラーの膝の上に桃矢が倒れこんでいた。
彼女は慌てて抱き起こし…
「くかーー」
「寝てる…」
「だらしないよ、桃矢〜〜」
視線を逸らせば、雪兎に戻った彼も机につっぷして寝言を呟いている。
二人を困った様に見比べ、そして彼女は苦笑い。
「くれぐれも、無理は…しないで下さいね」
桃矢の頭を揃えた膝の上に,ミラーは彼の髪を指で梳きながら、その寝顔に語り掛けた。
そのミラーの表情にも、やがて微笑みの中に強烈な眠気が生まれ始めていった。



とんとん
ノッキング。
「ただいま〜、お兄ちゃん…って何、コレ?!」
さくらは目の前の凄惨な光景に息を呑む。
部屋の中はアルコール臭で充満,そしてコタツで寝息を立てている二人の青年。
「雪兎さんまで……あれ?」
呆れ顔から一転、驚きの表情でさくらは桃矢の傍らで身を屈めた。
「これ、ミラーのカード…どうしてここに?」
落ちているカードを拾い上げる彼女。
まじまじと見つめながら、首を傾げた。
「こんな絵柄だったっけ?」
カードの中、一升瓶を片手に幸せそうな寝顔を浮かべるミラーの姿がそこにはあったという。



おわり






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